自明だから
例
x+y=1から 2x+2y=2を導き出す。
これパースの文脈で出てきたやつだわ。
はい、まさに哲学や論理学の歴史において超がつくほど有名なテーマです。
これは哲学の世界では 演繹のパラドックス(あるいは推論のパラドックス)などと呼ばれており、何人もの大物哲学者が「演繹はすでに前提に含まれている情報を引っ張り出しているだけで、新しい知識(論理知)を増やしてはいない」と指摘してきました。
特に有名な3人の哲学者の議論を分かりやすく紹介します。
1. ジョン・スチュアート・ミル(三段論法はぐるぐる回っている)
19世紀のイギリスの哲学者ミルは、教科書に必ず出てくる有名な三段論法を激しく批判しました。
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前提1: すべての人間は死ぬ。
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前提2: ソクラテスは人間である。
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結論: ゆえにソクラテスは死ぬ。
ミルはこう言いました。
「『すべての人間は死ぬ』と堂々と言えるためには、その中にソクラテスが含まれていて、彼が死ぬこともあらかじめ分かっていなければおかしい。つまり、結論で言っていることは、すでに前提で言っていることの繰り返し(循環論法)であり、新しい知識は1ミリも増えていない」
2. チャールズ・サンダース・パース(知を増やすのは別の推論)
19〜20世紀のアメリカの哲学者パースは、人間の推論を3つに分類し、演繹の役割をきれいに整理しました。
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演繹(デダクション): 前提にある情報を「明確にする」だけ。知は増えない(真理は100%守られる)。
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帰納(インダクション): たくさんのデータから共通のルールを導く。知が増える。
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仮説形成(アブダクション): 奇妙な事実から「こういうことじゃないか?」とひらめく。知が一番増える。
パースに言わせれば、演繹の仕事は「手持ちのカードを整理すること」であって、新しいカードを引く行為(知を増やすこと)ではないということです。
3. ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(論理は何も語らない)
20世紀の天才哲学者ウィトゲンシュタインは、著書の中で「論理学の命題はトートロジー(同義反復)である」と断言しました。
たとえば「明日雨が降るか、あるいは降らないかのどちらかだ」という論理的に100%正しい文は、明日の天気について何の情報も与えてくれません。演繹によって導かれる論理知とはこれと同じで、世界についての新しい情報を何も増やさない、と彼は主張しました。
現代の論理哲学でも、「演繹が正しい(妥当である)ためには、結論が前提に含まれていなきゃいけない。でも、含まれているならその推論は不毛(新しい情報がない)になってしまう。この矛盾をどう説明するか?」というテーマは今なお議論され続けています。